富籤の歴史/江戸の三富巡り
宝くじの起源と言える富籤(富くじ)。当初より社会基盤維持のための普請としての意味合いが強く、享保時代以降は主に寺社普請のための富くじ興行が行われてきました。
とりわけ江戸時代においては湯島天神、目黒不動、そして谷中感応寺(現在の天王寺)は「江戸の三富」と称され、庶民の間で人気を博していました。
今回は、そんな富くじの歴史を飾った「江戸の三富」巡りの様子をお伝えしていきます。
★湯島天満宮(湯島天神)
まず最初に訪れたのは湯島天満宮(湯島天神)です。
学問の神様として敬われている菅原道真公が祀られています。
元々は、雄略天皇の勅命により天之手力雄命を祀る神社として創建されたと伝えられています。
場所は、地下鉄千代田線湯島駅3番出口から徒歩5分ほどの位置にあります。
車で行くにもとてもアクセスしやすい場所です。
≪湯島天満宮・動画≫
湯島天神は文和4年(1355年)、湯島の郷民の請願によって菅原道真公を歓請して合祀しました。文明10年(1478年)には太田道灌によって社殿が修建されています。江戸時代になってからは徳川家康をはじめ多くの将軍の厚い庇護のもと隆盛をきわめることになります。
幕府の朱印地になって以来、湯島天神は林道春や新井白石など多くの学者から文神として崇められてきました。
現在もその名残りは続き、こうして合格祈願の絵馬がずらりと並んでいます。
富くじは「富突き」とも呼ばれ、庶民の間で親しまれていたようです。
★天王寺(谷中感応寺)
続いて訪れたのは天王寺(谷中感応寺)です。
鎌倉時代後期に日蓮聖人に帰依した関小次郎長耀によって建立されました。
場所は、JR日暮里駅の南口から徒歩3分ほどの所にあります。
ひっそりとした場所にあるため、思わず通り過ぎてしまうかもしれません。
≪天王寺・動画≫
もともとは「長耀山感応寺」と号されていましたが、日蓮宗から天台宗、そして天台宗から日蓮宗への改宗運動の中で、天保4年(1833年)に「護国山天王寺」へと改号されました。
敷地内には、元禄3年(1690年)に造られた銅像釈迦如来像が鎮座しています。
幕府公認の富くじ興行は、享保15年(1730年)に京都仁和寺が江戸音羽護国寺境内で行ったものが最初と考えられてきましたが、近年発見された天王寺の史料によって、それより前の元禄末年(1700年頃)には感応寺で興行していたことが明らかになりました。
富くじ興行の原点となる場所と言えそうです。
★瀧泉寺(目黒不動)
「江戸の三富」巡りの最後を飾るのは、目黒不動尊の名で知られる瀧泉寺です。
天台宗であるこの寺院は泰叡山滝泉寺と言い、不動明王を本尊としています。
湯島天満宮や天王寺とは違い、最もアクセスしにくい入り組んだ場所にあります。
公共機関を使ってアクセスするには、JR五反田駅西口から出発している東急バス渋谷行きの渋72系統のバスに乗って、5つ目の「不動尊門前」で下車する行き方が便利です。
約10分ほどで到着します。
≪瀧泉寺・動画≫
大同3年(808年)に慈覚大師が開創したとされる目黒不動は、徳川家光が堂塔伽藍を造営して以来幕府から手厚い保護を受けるようになり、江戸近郊における最も有名な参拝行楽の場所になりました。
境内では、「独鈷滝」見守る水かけ不動尊の姿が見えます。
慈覚大師が堂宇を造営する際に、建設する敷地場所を占おうと持っていた独鈷を投げたところ、そこから滝泉が湧き出たとされています。
以来、千年以上も絶えることなく湧き続けているそうです。
富くじの最盛期は文化・文政時代で、官許の富くじが江戸だけで31ヵ所もありました。多い月には20回以上開催されたようです。
価格は1朱(1両の16分の1)から1分(1両の4分の1)。当せん金は当初は100両でしたが、のちには1等にあたる「突き留め」が1000両、2等の「二番富」が500両と非常に高額になりました。
今のお金で1両がいくらなのかを換算するのは非常に難しいのですが、江戸後期の庶民の年収は約20両〜30両なので、やはり高額には違いありません。
あまりにも高額な当せん金は庶民の射幸心を過度にあおったため、富くじは水野忠邦の天保の改革によって禁令が出され、廃止されました。
しかし庶民の富くじ人気は衰えることなく、禁令後もしばしば行われていたようです。